April 22, 2018

旅の話(6)-食べ物など

私はグルメではなくおいしいものを食べることを抑制している。特に旅先では。行けるだけでありがたいのだから、それ以上の贅沢は好きではない。無理して禁じているのではなく嫌なのだ。ただ、体調崩さないようにだけバランスに気を付ける。都会では日本食も中華もあるけれど田舎では皆無だし。一日1食か2食でじゅうぶん。夜遅くならないと[8時半以降でないと田舎では]食べられないのでお腹すいた夜はサラダとスープだけ頼む。サラダだけのこともあるけれど、カスティリアスープは滋養満点なので。どうせパンもつくし(パンはどこでもおいしい)、それにビールかワインをグラスに1杯だけ。これでじゅうぶん。そうすると翌朝は抜く。たいていデザートは?と聞かれるが食べない。でも季節のフルーツがあるときはフルーツをください、というとオレンジが3つ、ボンとお皿に置かれた。このオレンジをザックに入れて翌日の朝昼兼用ご飯にする。あるいは一切れのパンとミネラルウオーターで、、、。学生時代の四国88カ所ヒッチハイクの旅とほぼ同じ感覚だ。年はとっても感性は同じ。団体でレストランに入るようなパック旅行は絶対に嫌。
 ハビエルにいたとき、ハビエル城とバジリカとイエズス会修道院しかなく、その前に宿泊者のための小さいホテルが1軒あるだけで、そこに泊まったらそこで食べるしか選択肢はない。フランスに近いせいかスタッフはフランス語話しているし、とても感じのいい小さいレストラン。アスパラのサラダとスープとグラスワインだけ頼んだ。セットメニューなどとても食べれない。肉や魚も外国では食べない。サラダはおいしかった。感激しながらナバラ産のホワイトアスパラを食べた。クリームとドレッシングのようなものがついてきたのでパンにつけて食べた。パンてほんとうにおいしいね。それでそのあとのスープはおなじみのカスティリアスープではなかった。プロヴァンス風の(とと私には思える)、魚介のこってりしたスープ。おいしいがなかなか減らない。でも残すと悪いのできれいに食べ、2品とパン一切れだけなのに、苦しくて、這うようにして部屋に戻る。隣のフランス人はすごい量いろいろ食べていたけどあんなことしたら私は死ぬ。吐きそう!もう二度と食事したくない、とうめきつつ梅干しをなめてしばらく横たわっていた。あんなにおいしいのに私には濃すぎる。翌日は朝も昼も抜いた。持参した切干大根の漬物だけ。
 マドリッドとかサンチアゴとかサンセバスチャンのような都会はいいのだ。バルがあるから、気軽なバルに入ってタパスをすこしづつ頼んでビールなど飲めば、苦しくない程度にお腹が満たされいろいろ食べれる。しかしバルがなくレストランが1軒だけという田舎はつらいものがある。スーパーがないので食材を買って自室で食べるということも絶対にできない。
 日本に帰って、昨日は下北沢のマルサンで「一汁三菜」のおいしいランチ定食をいただき、夜は教会横の焼き鳥屋でビールと日本酒と煮込みとかなめろうとかごちそうしていただき、私にとってはやはり和食が最高だわ。
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 この写真は私が親しくしているピンタード師です。En Silos hoy Belenの作者


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April 21, 2018

旅の話(5)-スペインのTotentanz

シロスの修道士さんたちは数が増えていた。私の知らないお顔もあったし、まだ着衣していない若者のノヴィスがかいがいしく祭壇周りのことをしたり、プロセッションではまだ楽譜を見ながら歌っていたりした。私は自分がシロスにいくことになるとは思ってもみなかった。必然性もなかったし、グレゴリオ聖歌で有名ではあったが場所が不便すぎていけないと長年思っていた。しかし2011年に初めて行って以来、行くたびに絆が深まる。彼らとの絆が深まり、私の霊的故郷になった。このような場所を私に与えてくださった神に栄光あれ。
 清らかさがここにある。内実は知らない。しかし確かに私が普段お話しをさせていただいているピンタード師、ノルベルト師、ライモンド師から発する清さは私を潤し、自分の原点を見つめ直すきっかけになる。グレゴリオ聖歌は神の言葉として聞くものであるという当然のことを強く思い知らされる。CDに録音したりコンサートにかけることは間違っている。シロスもかつてはCDを出したが、いろいろあって、もういっさいそういうことはしない。CDに惹かれて人々がわいわいやってくるのが嫌だ、静かに暮らしたいと言っていた。私はシロスに、日本にいるエセイサバレナ、カトレット、アモロス師らを紹介した。そしてシロスのビリャンシーコをラウデージのレパートリーにした。
 7世紀からの修道院の遺構のうえに建てられたロマネスクの建物、スーパーも病院も学校もない山の中の一軒の修道院に膨大な中世聖歌の史料があり、研究が行われ、日々、典礼のなかでグレゴリオ聖歌を歌い、人に知られることを好まず、祈りと労働の日々。日本が東日本大震災で津波、原発におびえたことは無論彼らも知っていて、1週間、村をあげて祈ったという。私もいろいろ聞かれた。「貴女の家は原発からどのくらい離れているのか」とか。
 学生時代から大きなスペイン全土の地図を持っている。大きすぎてみるのも大変なのだが、この地図をたよりにいろいろな場所の距離間を測り、不便なところに行ってきた。モレーリャも2日がかりでたどりつきましたし。今回はハビエルという、これまた不便なところに。以前から地図をみてどうやっていくか、どこからが一番近いか、と考えていた。ハビエルも何年ごしかで実現したのだが、私の恩師でもあるディアス師がハビエル城にあるキリストは最高だ、微笑んでいるキリストだ、と何度も何度もおっしゃるし、イエズス会員は皆ハビエルのキリスト像がお好きだ。だから私もいつのまにかそのご絵を何枚か持っている。イエズス会のどなたかが重篤になったりしたとき、そのほほえみのキリストの絵を持って行って枕元に置いたりしていた。決意したのはラウデージの関係でAd mortemとかMorir ffraresとか歌ったことで中世のTotentanzのことを調べる。するとスペイン最古の骸骨の図像がハビエル城にあるということを読んだ。最も古いのかスペイン唯一なのか忘れたが、類例のない図像ということで。ザビエル城は11世紀くらいからだんだんに出来上がり、ザビエル家のものになり、彼が生まれ、城内の小さな礼拝堂(アッシジのポルウチウンクラより小さい)でこのほほえみのキリストを見ていたという。その礼拝堂は鉄格子があって入れない。見えるけど。そして上の階からキリストを見下ろせるようになっているがそこはガラスで隔てられている。ガラスなんか必要なくない?減るわけじゃないし、直接みせてくれたらいいのに。確かに十字架のまわりに骸骨が取り囲んで踊っている不思議な図像だ。しかしうまく写真がとれない。有名なものなのネットで調べればいろいろ出てくるだろう。私も本の挿絵で見た。あれは何を意味するのか。普通Totentanzは人間がいて、骸骨がリードして死へ連れていく構図だが。キリストの周りに骸骨が鮮やかに・・・。ちょっと衝撃なのだが実物を見られて嬉しい。この目で見ることが好きな私はかなり長いこと見ていた。写真はキリストだけにした。「旅の話ー3」に写真をアップしているが、よく見ると骸骨が壁一面に描かれているのがわかるでしょう。クリックすると少し骨とか見えます。図像学的にはどういう説明がつくのだろうか。キリストの磔刑のまわりに何故骸骨の群れが?
 ところで今全身(特に背筋)が筋肉痛。息を吸っても痛いし、お腹いっぱい食べると背中が脈打つように痛みがある。これは中世の石畳の坂の多い道を片手で重いスーツケースをがらがらひいて歩いたからでしょうね。空港とか、舗装道路は全然平気ですよ。そしてシロスやハビエルには宿もエレベーターなどなく、荷物を持ってあがらないといけない。レンフェ、地下鉄、バス、みな一人でスーツケース持って、、、ま、当たり前ですけど。足は全然平気なのだが、背中の筋肉だけがすごいのでさっき薬草風呂に行き、ジェットバスに入ってきた。
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これはバスクの教会のなかの東方の三博士の訪問


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April 20, 2018

旅の話(4)-買い物など


今回、自分のためにシロスで2冊、典礼用の楽譜を買い、スペイン語詩集を1冊買った。十字架の聖ヨハネの影響というか連続性のある詩集だということはすぐにわかる。Mateme tu hermosuraという。
 あとはパンプローナの大聖堂で絵葉書を。これは買うというより、「自由献金」で好きに持って行ってくれというものなので100円くらいに計算してたくさん持ってきた。カタリナとか、マグダレナに出現する復活のイエスとか、人にあげるために。
 あとはG家から買い物を頼まれていてロザリオをいろいろ仕入れてこなければならなかったので、ミニロザリオ、指ロザリオいろいろ探して買った。バスクでは鮮やかな色の巾着が目にとまり、どうしても欲しくなり2つ買って一つは友人へのお土産にした。美しい花が一つだけついている。店のお姉さんが、「これはバスクのしるしなの。この花はバスク人を守ってくれるの」といってバスク語で名前を書いてくれ、バスクの花の説明を書いた紙を入れ、入れた袋にも表にバスク語ではこうだから、、と書いてくれた。包み紙もスーパーの袋もすべてベレー帽をかぶってハマキを加えている人の絵である。
 さて、これから持ち帰った資料、そしてスペイン詩をゆっくり紐解きながら旅の収穫を滋養に春を生きる。
 スペインに行くというと、おいしいスペイン料理食べるんでしょう?とか皮製品がいいのよね。靴とかカバンとか、、と言われるがそういうのとは無縁である。なにせ移動にお金がかかるので。私の買い物などお土産もすべて含めて何千円かですんでいる。上司にはナバラ地方のおいしいリキュールを買ったが、これもすごく安い。何でも安いが蜂蜜とかジャムとか缶詰とか欲しいのどんどん買うわけにはいかず。リキュールもホテルの分厚いタオルを失敬してぐるぐる巻きにして私のズボンでさらに保護して持ち帰った。

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ヨセフの夢とマリアのエリザベツ訪問(たぶん・・・)

サン・ドミンゴの遺体のところで祈る修道士。これもロマネスクらしい。
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April 19, 2018

旅の話(3)

もっと人々とお話しすればよかったな。言葉ができないということもあるがこの際そういうことは乗り越えなければ。神父さんたちにも「もっとゆっくり話したかったのに」と言われるがそこが難しい。典礼のあとあっという間に祭壇の向こうに消えていかれるので。ミサや聖務の始まる前に何人かの司祭が「ようこそ、よくきたね」「会いたかった。明日、ゆっくり話そう」とか言ってハグしてくださるのだが、どうすればいいのかわからず禁域の入り口でうろうろしてみたが面会は申し込まなかった。晩課や朝課のあとにうわーっと短時間話す。
 終課のあと(夜10時過ぎ)、司祭ではない一般の人、典礼に参列していた男性から声をかけられた。「あなたはオリエンタルに見えるが、どこの国?」と聞かれて「ソイ・デ・ハポン」と答えると、「そうですか。では仏教徒ですか?」と聞かれ「いえいえ、カトリックです」「私もオリエンタルにはいろいろ興味があって、、、」とか興味津津の雰囲気なのだが一人に慣れている私はなかなか社交的になれない。以前もマドリッドから来ていた男性にすごく話しかけられ、朝だったので、コーヒーでも?と誘えばよかったのだが、朝10時半ころにならないとカフェもホテルも扉があかない。
 ハビエルではやはり日本人の女が一人ということが珍しいのかよく声をかけられた。小さい聖堂に座っていると、前方で祈っていた感じのいい女性が近づいてきて、きれいな日本語で「こんにちわ」といって微笑まれた「私、日本語話せません」、とまったく訛りのない日本語で言われたのでびっくりしたが語彙はそれだけだったようだ。若い家族づれにも、「あの十字架(有名なほほえみのキリストのこと)はおもしろいからみてごらん」とか見知らぬ私に声かけてくれるんだからもっとしゃべればよかった。私の馬鹿馬鹿。自分が困った時だけ、語学の壁を飛び越えてそこらじゅうの人に助けを求めてしゃべるくせに。
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ハビエルは自然が穏やかで美しいところだ。ハビエルの城とイエズス会の修道院、神学院、霊性センターがあるだけ。そしてその前に小さなホテルが一軒あるだけ。店とか何もない。シロス以上に何も・・・だから夕方の典礼の後と早朝、ジョギングした。森の中の気持ちのいい道。
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こういうところを。
 森の中にいき雑草をいろいろ摘んでノートに挟む。そして押し花を作るのだが、帰国してすぐに押し花の処理はした。あとは手紙書いたときに貼って使うだけ。また、私には綺麗な落ち葉を拾うという癖があり、拾って、というメッセージを発している葉っぱを拾い、これもノートに挟んで水気を切っておく。これはセロテープでノートに貼り、ギャラリーにしている。私のいろいろなノートは葉っぱだらけなんですよ。

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きょう、出勤した。先週から休んでしまったので、いろいろ殺到して時間内に終えられず仕事持ち帰り。夕飯後にがんばってみたが、やはりG家の資料を使わないと。突然、私の部屋に、入院中とばかり思っていた友人が現れた。いかにも病人風だったがちゃんと歩いているので安心したが、「ゆりさんにケーキ焼いてきたの」といって大きなタッパーを渡された。昨日だったらいなかったし、きょうでよかったよー会えて。おいしい胡桃ケーキだった。素朴な味の。いいなあ、ケーキが焼けて人にプレゼントまでできる人は。

旅先で人の訃報を聞くのはもう勘弁、と思っていたが今回心配していた人は無事で、むしろ復活したらしいという情報を向こうにいるとき得た。
 きょう、礒山先生の遺稿を下さった方がいて、G家の私のデスクの上に置いてあった。来月、先生御用達の国分寺のワイン・バーでK音大の山仲間たちと飲み会する。すごーく楽しみ。それから中学の同級生たちとまた1泊で山散歩。これも楽しみ。あとはひたすら勤勉に。明日は夕方、芝居に行くが。

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旅の話(2)-乗り物など

2018
私の場合、辺鄙なところにばかり行くので移動が大変だし怖い。移動に1日とか2日とかかけてしまうこともある。
あるはずと思っていたバスが土日は運休、とか。土日はまったく交通機関が途絶えるシロス。あるいは電車の乗り継ぎもスリルある。街に行けば地下鉄やバスが走っていて便利だけれど、地下鉄はいいとしてバスは難しい。バスク地方のパンプローナの駅前から、私が泊まるホテルのある広場まで9番バスでxxx広場で下車というところまでは調べていたのだが、9番バスは駅前に止まっていたのですぐに乗ったが、運転手さんは「次はxxx駅」とかアナウンスしない。日本と同じようにおりたい駅の前でブザーを鳴らすのだが、どこで鳴らせばいいかわからない。駅の表示も掲示されないし、路線図もないし、これはほんとに地元の人しか使いこなせないのだな。それで、途方に暮れていても仕方ないので「私、xxx駅で降りたいので、そこに着いたら教えてくださーい」と周囲の人と運転手さんに言っておいた。運転手さんは「次だよ」と言ってくれたが、次がいつなのかわからず、私の降りるべきバス停にくると、ブザ―おしていないのに止まってドアをあけて黙ってまっていてくれる。そんなこと知らないので、周りのおば様たちが、「あなた、ここよ、ここで降りるのよ」と口々に言ってくれるので「ほんとですか?ここでいいのね?」と言いながら下車する。ホテルの外観はネットで見ておいたのでそういう外観を頼りにたどり着く。マドリッドは都会なので比較的、誰にでもわかるようになっているが、それでも人に聞きながら乗る。
 上記の写真はシロスの回廊にあるロマネスクの彫像で「エマオへの道」(復活のキリスト)

 この回廊には有名な聖母子像がある。マリア様は足元に蛇を踏みつけた姿をしているのが本物だが(無原罪のマリア)、この大きなマリア様はどっしり座っていて、お尻の下に怪物を踏んでいるというか、敷いているというか。
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 旅先からガラホを使ってチラっと記事を書いたが、ブルゴスの駅のカフェに登山者がチラホラいた。山に登るのならこんなところでゆっくりしている場合ではないのにな、と思いつつ駅のベンチに目をやるともっと登山者がたくさんいる。土曜日だからか?そしてお婆さん(どうみても70越えたお婆さん)が私の普段の登山装備の倍くらいの大きなザックに、雨用のザックカバーをつけ(お天気は悪かった)、ダブルストックを持って登山靴の完全装備。思わず話しかけてしまった。「クライマーですか?」と恐る恐る、何語で返事がくるかな、と思っていたら綺麗な英語で返事がきた。「登山じゃないの。パンプローナからブルゴスまで歩いたので、また電車で戻るの」「あ、カミーノ・サンチアゴ」ですね?巡礼道を歩かれたのですね?すごい」(サンチアゴ巡礼の一部分とはいえ特急で3時間かかる距離をお婆さんは一人で歩いたのだ。「ドイツから来て歩いたの」とおっしゃるのでドイツ人。どうりで英語がきれいだと思った。「ドイツのどの辺ですか?」「南のほうよ」、「南?それじゃあ、ミュンヘンとかアウグスブルクとか?」「あらー、よく知っているわね。ウルムから来たの」「ああ、ウルム、知っています。行きましたよ。世界一高い教会塔があるところですね。ドナウ川沿いの」 とかおしゃべりして、品がよいかわいいお婆さんだし久しぶりのおしゃべり楽しかった。電車を降りる時、「それではお気をつけて、さようなら」というと、「はい、わかりました」と言われた。それでそのあとも結局同じバスにも乗ったのだけれど、お別れの挨拶をしたのでもう話してはいけないと解釈されたようだった。でも刺激になったなあ。ああやって小刻みに少しづつカミーノを歩いて時間をかけて全コース歩きとおす計画なのだ。パンプローナにも時々ホタテのしるしがあり、教会では巡礼者の祝福式をやっているし巡礼者のためのミサもある。
 パンプローナは夜の8時とか9時とかそんな時間にもミサがある。

 私はヨーロッパにきて思うのだが、キリストは人性をとった肉体を持った存在として非常に生々しく感じる。マリアも同じこと。日本のカトリック教会にあるマリア像はたいてい綺麗な無原罪のマリアで観音様みたいで超越的だが、スペインのマリアはもっと表情豊かで、十字架で嘆くマリア、エリザベツをがんばって訪問しているとかお告げを受けてびっくりしているとか幼子イエスをあやしているとか、人間の生活のなかのマリア。そしてイエスも十字架降下、埋葬されるイエスとか脇腹の傷にトマスが指を入れているとか、すごく肉体性、具体性がある。血を流すイエスの前に子供たちがきて、「ほら、ヘスースよ」などと言っている。日本の教会はあまり生々しい磔刑もなく(長崎のはすごいけれど)、超越して、向こう側にいる神、という感じ。いろいろな場面のいろいろな表情のキリストがいない。抽象化された神なんだな。特にプロテスタントの教会は生活感がない。そう思いませんか?

 昨年ラウデージは神田教会で、ザビエルの骨を顕示したなかでコンサートをしたが、あれは骨のかけら。ローマのイエズス会本部には腕が肘から手まで顕示されている。遠目なのであまりよくわからないが、このたびハビエル城でザビエルの腕(つまり遺体の一部)をカラー写真に克明にとったものを絵葉書にして売っているのを見た。「買おう」ととっさに手を伸ばしたが、手にとって見ると「おえ」と吐きそうになった。やめとこう。これを誰に手紙書くのだ? でもやはり1枚買えばよかったか・・・と少し後悔もしている。
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ハビエル城


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April 18, 2018

旅の話

2018

元気に帰国した。上の写真はシロスの修道院門。
辺鄙なところから辺鄙なところへ行くので移動に時間がかかり大変だった。しかしザビエルのことを思うと、、飛行機もない電車もない時代に、こんな田舎から日本にやってきたことを思うと贅沢な愚痴など言っていられない。
スペインは寒かった。日本の冬と同じような服装が必要で、私はありったけの重ね着をしてしのいだ。
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旅の間、食事は一日に1回か2回。タイミングもあるしそのくらいしか食べるチャンスはない。お酒はビールかワインをグラス1杯だけ、と決めている。朝、ホテルの朝食で出たパンをハンカチに包んで、持ち歩き、そのパンと水で一日歩き回った日もあった。ヨーロッパでおいしいものを食べ歩くというのは私の趣味ではなく、巡礼者のようにストイックにするのが好きだ。
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 つらいのは皆さん、2時くらいにお昼を食べるようで(修道院もミュージアムも1時から4時まで閉門)、そのあと4時くらいまで、まるで戒厳令でも敷かれたように町が死んだように静まり返る。人っ子一人歩いていない。私が外を歩いているのが不自然なくらい、不気味に静まりかえる。私はゆっくりランチを食べるわけでもないのでお昼休みは必要ない。ということでハイキングに出かける。
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シロスの散歩コース
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少し山にも登る
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ここで鹿に会った。美しい鹿2匹。写真を撮るチャンスはなかった。

[続く]


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April 17, 2018

マドリッドに戻り一週間ぶりに日本人を見かけ、日本語を聞く。山奥から山奥へ孤独に旅していた身には少し違和感。

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April 16, 2018

ナバラのオレンジと雑穀パンをカバンに入れてかじりながら初めてナバラの地を歩く。ハビエル聖堂でミサにあずかる。夜9時過ぎても空が暗くならない。青い色している。ハビエルからパンプローナまで直通バスがあるじゃないか‼皆さんが、ない、ないないというので移動に悩んだが現地の人が教えてくれた。あー良かったよー




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April 15, 2018

ブルゴス駅には登山姿の人がたくさんいる。すごい重装備の単独行の女性に思わず話しかけた。そのことは帰国後に書くとして。細かい調査不足の一人旅の私は思わぬ苦労の嵐に呆然ですが両親が守ってくれているような気がする。ま、無事帰るのが当面の目標



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April 14, 2018

ピンチに陥ったことを書いたが反映していないみたいだ。多分大丈夫だけど一人旅には困難がつきもの。スペイン語作文に時間を費やしている


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April 13, 2018

実況中継はしないと言ったくせに、時間あるのでつい。一人旅に困難はつきものですがいま孤立した山奥でピンチです。スペイン語もろくに出来ない自分が悪いのですが自分がピンチということはスペイン語で知らされよくわかりました。いま解決に向けてスペイン語作文中です。


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April 12, 2018

マドリッドに着いてすぐナチュレという店で記念に素朴なブレスレッドを買う。駅でビール飲んで風呂に入ってねる。いま電車はエルエスコリアルを過ぎたカンティガの写本があるところ


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