November 22, 2018

私はクレーマー

昨日はトイレ掃除をする予定にして、原稿書いたり事務したりしながらいつやろうと思っているうちに夜中になり、真夜中に酒を飲みながらトイレ掃除だ!と決めていたが、力尽きてそこまでたどりつかなかった。きょうこそ。
 武蔵境の2件の高級スーパー、環境問題に取り組むことを謳っているくせに、レジで「袋ご用意してよろしいですか?」と聞く。用意してよろしいですか?→用意したいんです→させてください、、、ってことでしょ? おかしいじゃない? 無論「いりません」と断るけれど、ゴボウを買ったら「あ、じゃゴボウだけ土がつくのでビニール袋にお入れします」というので、すでに袋に入っていて泥なんかつかないから「それもいいです」と言ったら、「え?これもよろしいですか?」と言われた。そんなにポリ袋を消費したいの? 深刻なポリ汚染のこと考えている?
 きょう、パン屋で買い物したら、「プレゼントがつきます」といって、(いらないんだけど)箱に入った小さいお皿をもらった。ビニール袋に入れて渡そうとするので「袋いりません」というと、「パンがつぶれないようにと思っているんですけど」と言われた。(パンをつぶさないで持ち歩く工夫など、自分でするわい)と心で思いつつ「大丈夫、自分のカバンに入れるから」といって断った。買い物するたびに闘わないといけない。ヨーカドーは庶民的な大きなスーパーでレジの人も手早いから、むこうがさっと小さいビニール取り出す前に私が「いらない!」と言わねばならない。吉祥寺で私がよくワインを買う店、ここはどんなに買い物しても絶対に袋出さない。当然のように客がレジ袋に入れるのを前提としている。袋を求めるとかなりお金とるようだ。こういう店が増えないとだめだよ。
 こんなことずらずら書いている場合じゃないんだけど、美容院でのクレーム。

 シャンプーするとき頭皮マッサージしてくれるのが美容院での楽しみなんだけれど、こないだ行った武蔵境の安い美容院、いつシャンプーするんだろう?と不安になったので、「あのー、シャンプーしますよね?」といったらちゃんと洗うと別料金かかります。軽く泡立てるだけならこの料金内で、、という。ずーっと行っていたかかりつけの美容院ですよ。はじめてこんなこと言われ、軽くでいい、といったら、ほんの少量シャンプをつけ、泡立ちもしてないけど2回ほどワシャワシャ、とやっただけで「流しマース」といわれた。2回だけ? それで縮毛矯正とかパーマする人は肩のマッサージのサービスがつく。いつもしてもらってこれも楽しみなのだが「マッサージは?」というと2000円以上のトリートメントしないとマッサージはつきませんと言われ、「ええ~?いつそんな規則できたの?シャンプーの量をけちるのはわかるけどマッサージなんてやったって減るもんじゃないし」、「・・・・・」「減らないでしょ?あなたの指が摩耗するわけじゃないでしょ?私が喜ぶだけでしょ?やってくださいよー」と言ったけど駄目だった。ボヤーっとした感じの男の子でしたが。何かストレスたまった。

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November 21, 2018

ああっ!もう、忙しいったら!!
私の部屋はカオスと化している。これをすっきり整理したらもっと効率があがるのか。
まもなく、カルメル会に指導に出かけるが、その時間割が届いた。朝、昼、晩とある。シスターたちの過密スケジュールのなかにさらに長時間私のレッスン、講義が入る。夜はもう夕飯後、晩課も終わっているので声を出して歌うのではなく私の講義になるようだが、神父さんもお聞きになるということで、神父様が聞いても益になるような話をひねり出すのに目を白黒です。それを横流しにして立教大学でも使うべく、別味で調味。修道院に滞在すると当然ながらすっきりした部屋に独居して、余計なものはいっさいなく大自然がそばにあり、私は当然ながら一切の家事から解放される。その充実の時を目指してカオスを乗り切る。
 それにしても訃報、訃報が連続し、告別式も重なり、葬儀ミサの梯子は難しく、苦渋の選択を強いられる。 
 しかし私は15日のコンサート目指して全身で集中して日常を過ごさねば乗り切れないので、読書はもうできない。文字を受け付けない。
 しかし、クリスマスカード書きが大量に。これはさぼるわけにいかない。年賀状とは別にこれは寝る前の眠い時間に少しずつ少しずつ書く。宛名書きが70%ほど終わる。精根尽きそうな晩秋。

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November 20, 2018

きょうの日誌

朝っぱらから、あまりの喪失感にクラクラ、吐き気すらする。スタバで気を取り直し、メモをしまくり、次の所に出かける。立教の学生さんとのディスカッションが非常に楽しかった。ピューン、と自宅に戻り、荷物を置いてカバンの中身を入れ替えて次の場所へ。スタジオ予約し、そのまま小ホールで末吉保雄先生の追悼コンサート。桐朋で親しかった同級生(作曲)が末吉門下だったので会えるかな、と思ったけど混雑して探せなかった。朝、作曲の人から「きょうはチケット売れすぎて立ち見が出る予定だから早めにいくといい」とメールが入っていたので開場前に並んだ。桐朋のTさんが私に近づいてきて、「自販機あるかしら?」というので「あ、そこに」、「ねえ、あなたどこかでお目にかかった憶えがあるわね。コンサート会場でステージの上の貴女を私がみていただけって感じかしら」というので、「いやだ、Tさんでしょ? 高校時代から知ってますよ。杉本です」、、と言ってもなんだかわかってもらえなかった。「だから、ゆりです」 とか言って。思い出してもらえたかはわからず。
 末吉先生の「おかる勘平」は日本歌曲の名曲中の名曲だ。私は学生時代に初演も聴いている。でも初演なさった瀬山先生よりきょうの若い歌手のほうが私は圧倒的に感銘を受けてしまい。「かんぺいさんが死んだ、かんぺいさんが死んだ」のところでは泣いちゃった。ゾワーっと鳥肌のたつような感動。打楽器のソロの曲もよかったし、荒川洋治作詞「坑夫トッチルは電気をつけた」という社会性のある歌曲も抜群でした。舘野泉さんのピアノも。
 久しぶりに音楽で刺激と感動を受けた。
 それで駅前で飲んで帰る。bottleヾ(´ε`*)ゝ

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教会

同時にいくつものことを進行しているのでこっちやっているうちにあっちの連絡きたからあっちやっているうちにまた別の書類つくって、、、という具合に果てしなく事務が続く。クリエイティヴ脳も使うし、営業もするし、頭はゴチャゴチャで、ピアノも弾くし料理もするし。
 昨日は籍のある吉祥寺教会のミサに行った。教会に行くことはあってもミサに出ることはあまりない吉祥寺。主任司祭が変わると典礼の細部、侍者の振る舞いなど細かいところがいろいろ変化している。ミサが終わって「お知らせ」があって閉祭の歌を歌ってそのあとオルガンの後奏があってこれで終わりと思いきやそのあとに福音宣教のための祈りというのが加わっている。結構長い。司式者と会衆がレスポンソリアルに言いかわすもの。閉祭のあとがこんなに長いって初めてだ。ミサ前も共同体の祈りがあってロザリオがあってそれから始まる。
 そしてこの季節、毎度驚くのが「今、聖書週間です」とアナウンスされる。プロテスタント育ちの私からすればこの週間自体が不思議なのだが、「この機会に皆さんも聖書を読んでみられることをお勧めします」というアナウンスには本当に驚く。普段読んでいないのかあ? 信者がこんなこと勧められるって変でしょ?
 それで本題。
 今、教会暦は終末に入っている。終末論的な箇所が朗読されるが先週、先々週はやもめの献金とかエリアとやもめとかの話だった。愛と終末との結びつきの話し。そしてエリアになけなしの食べ物を与えたやもめはキリストだという私にとっては新鮮な説教と一生懸命のオズワルド神父さまの姿。
 もう力尽きた。でもあとひとがんばりしてベランダで体操して酒飲んで寝る。

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November 19, 2018

主日

朝早く家を出て、夕方7時に帰宅。それから家で事務、事務、仕事メール、雑用、家事、で気づけばもう翌日になっている。強い酒を一気に飲んで寝ます。
 私のとったバリルートをネットで検索すると、私と同じようなピンチになった人のブログもちらほら見受けられる。そして茨の藪で服がボロボロになり、二度と着られず捨てた、とかいう人もいるがでも私のように梯子つかって崖を降りずになんだかうまく一般道に出られている。どこが分かれ目だったのか。私も一般道になんとか出ようとしたが梯子が途中でなくなっていて、これを飛び降りたら骨折するな、いや死ぬかも、、と思い断念したのだが。しかしあまりの自分の浅はかさにうんざりする。これは音楽が好きで好きでずーっと若い時からやっているのに決して上達はしない人、、に似ているのでしょうか? 

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November 17, 2018

落ち込むので何か栄養のあるおいしいものを作って晩御飯にしなければ、ということで、大好きな白菜スープを作る。烏賊を解凍して烏賊とイベリコハム、マッシュルーム、オリーブの実、ベビーリーフでサラダ作る。レモン汁たっぷりかけて、カンボジアの黒胡椒をガリガリ挽いて、パレスチナのオリーブオイルをタラーっとかける。ワインで食べたいけれど贅沢は禁物。そして全身棘だらけになった体をやはりお湯で癒したいのでお風呂を沸かす。こういうとき温泉がいいのだけれど、家風呂で。そして早く寝る。漫画は読まずアウグスチヌスを友として。

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挫折と反省の登山

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 快晴に恵まれ、早出して元気よく登山口に着いた。快調なペースで登って山頂では富士様を拝み、ひれ伏し、エピガスを使ってラーメンつくる。ネギとか茹で卵とかとろろとかコッヘルに入れてもってきていたのでそれらを入れて、無印良品のラーメンなかなかおいしかった。調理も含めて山頂での休憩は20分以内。すぐに立ち上がってそそくさと出る。先が長いので。今月末に健脚向きの縦走道場のツァー登山に参加するので人の足ひっぱらないためにも事前に自己トレをと思ったので。

 途中の分岐(3つに分かれるところ)で3人のグループに会い、私が行くルートなど話していたらそれはかなり大変だからお勧めできない、危険個所もあるから女性一人ではどうのこうの言われ、H.xxx尾根を行くことになぜかその場で決めてしまった。地図には出ていないが道はある。指導票はないけど、迷ったら右に行くこと、と言われ、とにかく道に迷わないように細心の注意を払って下っていった。下界の車の音なども聞こえるくらい降りてきたところで迷ったら右、という地点を間違えまったく道のないところに出てしまった。しかし細い梯子が藪の中にみえたので梯子を伝って降り、とにかく人間界のほうに降りるしかないと思って、無理やりた降り、今度は茨の藪のなかに出てしまった。ピッケルでエイヤ、エイヤと藪と格闘し、「うわー、茨の棘、キリストの受難だー」と思いながらともかく生きて帰るぞ、携帯で救援を頼むか、いやしかしまだ明るいし、体力あるし、ということで今までの登山経験のなかで最も過酷なありえない茨の藪漕ぎをした。そして藪に覆われた急な梯子(今から思えば危ないな)を降りつづけ、その私の姿を遠くから、高速道路からみたドライバ-の人たちが何人も警察に通報してくれたらしい。他にも、ここには書けないような危険なことしたんだけれど、高速にポンと出てしまった。全身ハリネズミのように棘が刺さっている。写真とったら笑のネタになりますが、そんなことしている場合ではない。パトカーが来て、「そこの歩行者、止まって下さい」と言われ、私はパトカーに。「危険行為の女性登山者、保護しました」と無線で連絡している。警察の人は優しくて「紅葉はきれいでしたか?」とか「あそこの山、けっこうきついんですよね。私も行ったことあります」とか和ませてくださり、始末書を書かされて釈放。駅まで歩いて30分、ということろでパトカーを下ろされ、バスもありますけれど、あそこがバス停で、、と教えてくだっさったが、迷わず歩く。何故、身の程知らずにバリルートなど行ってしまったのか?誰もいない荒れた道を。いろいろ判断を誤った。駅に行く途中広い川があったので川辺でハーブティーを飲みカヌレを食べる。武蔵境まで戻って、タリーズのテラスでアイスコーヒ―飲みながら行動食をパクパク食べる。薬草風呂などは自粛し、シャワーだけにし、棘だらけの衣類を洗い、ピアノに向かってショパンとバッハを練習する。
 コンパスも持たずに出てきていきあたりばったりに地図のないルートに変更するなんて、愚かとしかいいようがない。深く反省。
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November 16, 2018

忙しかった。不義理もしてしまった。
遅く帰って、カレーを食べる。明日は予定のない土曜日なので山に行こうと思う。いつもと違う装備で。つまりガスコンロとかコッヘルとか持って行って山頂調理。そして、とあるキャンプ場に下山して、そこでお風呂に入って行こうと思うので風呂道具一式と着替えもザックに入れた。風呂といってもバスタオルなどいらない。私のロングヘアーを洗ったとしても小さいハンドタオルで体も髪もすべて拭けることがわかったので、浴用タオルさえ持っていかない。高低差あるようなのでガンガン飛ばして歩こう。秋の日の山歩き。紅葉は見れても見れなくてもどちらでもいい。何もなくてもいい。自然さえあれば。

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November 15, 2018

寝坊した

ありえない寝坊で失態をしてしまった。時差ボケでもあるまいし。目覚ましがなっても起きなかったのだ。普段は鳴る前に目を覚ますのに。最近、睡眠障害で夜眠いのに眠れず睡眠不足が続いていたが、昨晩は睡眠薬もなしによく寝た。そして気が付くと9時。もう職場に到着していなければいけない時間であるよ。夫はとっくに出勤して家の中はシーンとしている。きょうは特別に約束している人もいなかったけれど、ゾーっとして飛び起き、それでも朝ごはん食べ、お弁当のサンドイッチつくり、コーヒー淹れるのはあきらめ、アイスコーヒ―飲みながら弁当つくり、ベランダの鉢植えに水やり、そのへんのジーパンをはいて適当にセーター着て、歯磨きして家を飛び出したときは9時25分。25分でやり終えたというのは山小屋で鍛えた早業訓練のおかげか。化粧もしないし。
 バス停まで走り、走れるところはすべて走った。やはり目覚ましは2重に2つ使うべきか。
 体が普段の睡眠不足をなんとしても取り戻そうと頑張って寝てくれたのかな。
 それなのに帰りのバスのなかではまた爆睡した。フラフラ図書館に入りファッション雑誌を読んで帰る。館内のカフェでコーヒ―飲みたかったが、ブーツを2足修理に出し4000円かかったので当分贅沢は禁物である。

 何十年ぶりかで神戸に住む従姉妹に手紙を出した。私にとっては憧れのお姉さん的存在だった従姉妹でピアニスト。今月、デビュ―50周年記念のコンサートをするというのを別の筋から耳にして、私は行けないけど頑張ってね、という手紙。どうやって私のメールアドレスを知ったのか、さっきメールがきていた。「ゆりちゃん、」という書き出しのメールは必ず親戚の者からだとわかる。関西方面のかたがブログお読みでしたら伊藤ルミで検索してみてください。美人で明るく、強い。よろしくお願いします。

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スコラ哲学とカンティガ(7)

類比の目的は、満足できる明確なアナロジ-であり、その本質的な真実を疑いもなく見る者に知らせることである。個々のフォリオは3つの部分に分かれる。奇跡に対する、歴史的、個人的、倫理的な側面に分かれる。これら3つの側面というのは2つの異なった細密画の二分法に分割される。またさらに細密画の多くは話に合わせて個々のシーンにポイントをあてていく。そのとき我々は気づくのだがそれぞれのアーチが細密画のなかで隣同士が同族的に類似しており、3つの分割部分が全体として一つのフォリオに描かれているのだ。ちょうど音楽と詩の組み合わせが、時間と空間のなかに論理的に秩序づけられているように、またカンティガの語りの要素が調和的にシンメトリ-に論理的な時空間の中に組み込まれ、アルフォンソ的な芸術家はその連続的な枠組みのなかで構成していく。実際に物語を連続的に読んでいってもらい、興味を持続させていくために効果的に枠組みをつくっていくということはありえる。観るものが全体を美しいものとして捉え、物語全体をロジカルに捉えることができる。この時代、奇跡内で連続的に起こって行く出来事の枠組みは満足できる論理に達すると考えるのは普通のことだった。
 細密画の中にスコラ的な観念を見出すことができる。parallelismus menbrorumの原理と形を作る時のラインの強調である。ホリゾンも縦線も注意深く書かれている。壁、樹木、コラム、足、椅子やテーブルの脚、人々の頭、伸ばされた腕などが絵画的に線をつくっている。

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November 14, 2018

昨日も一日あせあせがんばりました。シメは中音の練習。コートレとかアルカデルトのシャンソンはまさに私の青春の歌。もう暗譜ものです。青春が2度来るとは。こうして歌えることは幸せです。そしてそのあと、一日のシメに武蔵境で一人飲みして夕飯しようとした。境の飲み屋もいろいろ開拓したが、いいなと思った店はいつしか人気出て、満席が多いし酔っ払いがうるさい。駅前の大衆酒場チェーンの「大丸水産」(でいいのかな?)は女一人で入りやすい、安い、おいしい、煩くないという点で気にいっている。帰り際に花を一本くれる。武蔵境にあったフラワーカフェみたい(今年つぶれた)。これも嬉しい、そして最後のシメにアサリの塩ラーメンを頼んだのだが売り切れ。(´・ω・`)ショボーン 今度自分でもやってみよう。アサリとアオサを使ったラーメンです。
 きょう、ブーツを2足修理に出した。ブーツといっても山岳民族のモン族のとチチカカのブーツ。大事に大事に修理しながら一生使い倒しますぞ。

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November 12, 2018

昨日、八王子にある純心聖母大学に行く用事があって行った。純心聖母会という女子の修道会は日本オリジナルで、創立者の江角ヤスさんは尊敬しているお方でもあり、私の代母が純心の人なので、長崎でも山口でも宿を提供していただいて修道院の一角に泊まらせていただいたりお世話になっている関係で「純心聖母協力会」というのの会員になっている。自分が会員であることすら忘れがちなほど何のしばりも会費もない。しかし集会にはなるべく出かけようと思っている。八王子には親しいシスタ-もいて、昨日も会えて嬉しかったし集会祭儀では彼女が素敵にパイプオルガンを弾いていた。年配者もおられるが若くてつやつや、ピカピカの人たちも。
 純心は、信徒発見の大浦天主堂のサンタマリアの前で発足した会なので信徒発見ということをすごく重視している。昨日は杉本ゆりたち浦上の信徒が流罪になってから150年目ということで記念のDVDを見た。杉本ゆりは大工さんの家の娘だったらしい。大浦天主堂ができたときにゆりと、妹のてるはすぐに確かめに行こうと奮い立つ。約束とおりパーパが来たのではないかと。男たちは「駄目だ、今行ったら、役人に見つかって殺されるかもしれない」と止めたが、ゆりたちは真実をつきとめるためには死んでもいい、死んでもサンタマリアのご像が見たい」と激しい信念をみせたそうだ。十字架のもとにはせ参じたのも女たちだった。復活の朝も墓に急いだのは女たち。男たちは部屋に鍵をかけて震えていたのだ。女性の捨て身のひたむきさ、献身、愛の深さが教会を支えてきた、と思う。年配のシスターがマイクを手に原稿もなにも見ずによどみなく、年号を一度も間違えず、すばらしく滑らかに上手に美しい声で1時間近くたったままお話され、「すごーい、ただものではない」と心で感嘆していたら、大学で歴史の先生をしていたシスターだそうだ。総長様だったこともあったようで、修道服を着たバリバリキャリアウーマンの貫禄がおありだった。私が親しくしているシスターは純心でピアノの先生をしている人で、一時、G家に勉強にきていた。彼女にピアノを教わる人は幸い。本当になんというか、癒される。声を聞いているだけでほぐれていく、そのような方です。G家にいらしていたときもおちゃめで可愛かった。
 八王子駅に出て久しぶりに八王子の駅ビルに入ったのだが、私が好きでたよりにしていたお店が3軒ともつぶれている。なんでえ? ひとつは吉祥寺の駅ビルにもあったのだがそれもつぶれたし。私好みの店は淘汰されていく時流なのか。゚゚(´O`)°゚

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